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なまはげの故郷の男鹿は「おが」と読み、秋田県の真ん中少し上にある日本海にぴょこんと突き出した半島全域が市域となっています。なまはげはもちろん、荒波が打ちつける断崖絶壁のダイナミックな海岸線や夕日スポット、1200年の歴史を持つ男鹿温泉など、秋田県指折りの観光スポットでもあります。 新幹線利用なら秋田駅からJR男鹿線に乗り換えて約1時間、羽立駅か終点男鹿駅が最寄り駅。飛行機なら、秋田空港から秋田エアポートライナーで男鹿駅に直行できます。男鹿市内での交通の便がやや悪いので、あいのりタクシー「なまはげシャトル」を活用するか、レンタカーやタクシーを利用して、効率よく見どころを回るのがおすすめです。   JR男鹿線(男鹿なまはげライン)にもなまはげの顔が。 男鹿を旅すると、あらゆるところでなまはげに出会います なまはげといえば、鬼のような面をつけてケデ(藁蓑)をまとい、桶と包丁を手に大声をあげて家に入ってくるシーンが有名です。現在では大晦日に行われていますが、昭和20年代までは小正月の1月15日に行われていました。 大晦日の各地の行事を伝えるニュースはいろいろありますが、なまはげの姿に泣き叫ぶ小さな子供のニュースを、皆さんも一度は見たことがあるのではないでしょうか。恐ろしい形相のなまはげが、子供に食いつかんばかりの勢いで迫る姿は、私の幼心にも鮮烈に刻まれ、以来、なまはげのニュースを見ると、今年も終わりだなぁと感じます。   囲炉裏などの暖房器具で長く温まっていると、皮膚に火斑(ひだこ)と呼ばれる赤いまだら模様ができることがあります。一種のやけどですが、これを男鹿ではナモミと呼んで、怠け者の証としています。なまはげはこのナモミを剥ぎ取り、だらけた根性を叩き直しに来るのです。「ナモミ剥ぎ」が転訛して、「なまはげ」になったんですね。現在、約六十の地区で行われています。   なまはげは男鹿半島内にそびえる真山・本山に鎮座する神々の使者と信じられており、扮するのは各地区の独身男性と決められています。このなまはげの迫力を、大晦日でなくても体験できるのが真山伝承館です。怖がらせるだけではない、なまはげの本当の姿を知ることができます。   風情ある真山伝承館。一年を通して「ナマハゲ習俗学習講座」を行っています 男鹿の典型的な民家である曲屋にあがり、座敷に座ってなまはげの登場を待ちます。まず、なまはげの訪問を許可するかどうかを問う「先立(さきだち)」役が訪ねてきます。主が許可すると、外から板戸を叩く音がダンダンダンと響き、「ウオー」という奇声と共になまはげが入ってきて、四股を踏みます。こうした所作や四股の回数などはすべて決められており、乱暴そうに見えるなまはげですが、古来の儀式であることがわかります。   なまはげ登場! テレビで見たことがあるとはいえ、 実際に見るとその迫力に圧倒されます(写真提供:男鹿なび) 主はお膳でもてなし、稲の出来などの話をし、なまはげは豊作祈願を請け負います。ひとしきり話をすると、家族の一年の素行について、なまはげが主に尋ねます。主は、嫁や孫の今年1年の頑張りを伝えますが、ここで登場するのが「なまはげ台帳」!「なまはげ台帳」には、家々の一年の素行の実情が載っているのです。   このあたりで、テレビニュースで見かけるあのシーンとなるわけです。伝承館では主人となまはげだけですが、実際には「泣ぐ子はいねがー」「親の言うこど聞がね子はいねがー」「ここの家の嫁は早起きするがー」と家族に大声で迫り、子供をこらしめようと抱き上げたりします。それを主が必至でかばい、許しを請うのです。最後は「また来年も来るがらな」と、来訪を約束してなまはげは帰っていきます。   「なまはげ台帳」を読み上げるなまはげ。何が書かれているのか、 男鹿の子供だったらドキドキするのでしょうね(写真提供:男鹿なび) この学習講座に参加するまでは、なまはげは怠けた子供を懲らしめているだけかと思っていたのですが、厄を払い、豊作・豊漁を約束し、怠惰をいさめてくれる、良いこと尽くしの神様でした。さらには家族を必死で守る一家の主の姿を子供に見せることで、父権と一家の結束の強化を図る効果も絶大。生意気を言い出す年頃のお子さんを連れての家族旅に、この伝承館での体験は最適なのではないかと思います。   なまはげがいつから行われているのかは、正確な年代はわかっていません。ただ、江戸後期の旅行家で博物学者の菅江真澄が秋田をくまなく歩いており、景観や生活習慣、伝説などを書き残しています。そのなかの『男鹿の寒風』になまはげのことが書かれており、これがなまはげに関する最古の文献とされ、その時点で「大昔から続く行事」と記されています。   男鹿ではあちこちに菅江の歩いた道の案内看板が立てられており、 古い記録に親しむことができます なまはげは「来訪神(らいほうしん)」の一種とされています。「来訪神」とは、大晦日や正月、小正月、あるいはお盆や農作物の収穫期、季節の変わり目など、毎年決まった時期に訪れる神様です。宗教的な神ではなく、共同体の中の子供や若者、厄年の人などが仮面を被り、異形の姿に仮装した上で、怠惰をいさめ、厄災を払い、豊作・豊漁、吉事をもたらすとされています。 こうした「来訪神」行事は日本各地で見られ、そのうち北は秋田、南は沖縄までの国指定重要無形民俗文化財に指定されている10件が、2018年にユネスコ無形文化遺産に「来訪神:仮面・仮装の神々」として指定されています。前回の切手旅「秩父夜祭」でご紹介した「山・鉾・屋台行事」に次ぐ指定となりました。   鹿児島県悪石島のボゼ神。なまはげとはずいぶん風情が異なり、南国感あふれる来訪神です。 (写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟) 行う時期は違えども、共通しているのはその異形。怠惰をいさめ、厄災を払うだけなら「怖さ」は重要ですが、幸せや安全、吉事をもたらすのにもこのビジュアルが必要なのでしょうか。できれば親しみやすいほうがいいなぁ、なんて思ってしまいますが、いつもお参りする神社の神様や、山や巨石のようなご神体に宿る神様とは違い、来訪神は見慣れない姿の神へとヒトが仮装することがポイントのようです。「ハレ」の日の特異性や「まれびと」の威厳を保つためには、ギョッとするような姿が求められるのかもしれません。いつか機会を見つけて、もっと深く調べてみたいと思っています。   あのサンタクロースも来訪神&#x2049;   ところで明日はクリスマスイブ。街はクリスマス一色ですが、なんとあのサンタクロースも元々は来訪神だったそうなのです。サンタクロースのモデルは、4世紀ごろに小アジア(現在のトルコ共和国アナトリア半島)のミュラで司教を務めていた聖ニコラウスです。 その後ヨーロッパに伝わり神格化した聖ニコラウスは、ドイツやオーストリアなどでは12月6日の聖ニコラウス祭に各家を回ります。その際に悪魔を伴って来ることがあり、良い子にはプレゼントを、悪いことをした子は悪魔が肩に担いだ袋に入れて連れ帰るそぶりを見せて懲らしめます。 クリスマス文化研究家の木村正裕氏によると、   なまはげとの共通点は、  1)年の変わり目に人間の世界に来訪する  2)鬼のような仮面装束をしている  3)子供を脅かしたり、プレゼント(なまはげは「年魂(としだま)」という無形の豊作の約束)をあげたりする  4)村の青年たちが扮する ということがあげられます。 なまはげや、鹿児島県甑島の「としどん」が年神様である来訪神であること、上記のように共通点が多いこと、両者とも冬至の季節に現れることから、「サンタクロースが形成される途中のキャラクターの一つは来訪神である」といって間違いありません。   とのこと。サンタクロースがなまはげと同じ来訪神だったなんて驚きです。サンタクロース同様に、日本の来訪神も心待ちにされる存在であり続けてほしいと思います。   聖ニコラウスや悪魔、異形の従者が描かれた切手を解説したリーフ(※)の一部(画像提供・木村正裕氏) ※ 集めた切手を系統立てて整理整頓し、切手の各種データや描かれた図柄の解説、考察結果などを、A4サイズ程度の台紙に切手と共にまとめたものをリーフと呼びます。切手だけでなく、切手原画や試作品、実際の郵便物、はがき類、消印など、様々な素材を自らの見識や創造性を示してまとめることもでき、19世紀から続く欧米の伝統的なスタイルです。   「秋田市建都400年」切手発行のいきさつ   今回の「秋田市建都400年」切手は、切手旅初登場の「ふるさと切手」です。 ふるさと切手とは、各都道府県が属する地方郵政局において企画、発行され、1989(平成元)年4月から発売されています。それぞれの土地の名所や行事、風物が題材になっており、地方らしさにあふれる切手です。郵政民営化により、2008(平成20)年からは各支社(旧郵政局)からの企画発行は中止され、「ふるさと」をテーマにした切手をふるさと切手と呼ぶことに改められ、全国発行されています。 この「ふるさと切手」、当初は「地方切手」の名称でしたが、切手収集家の声により「ふるさと切手」に決定したというエピソードがあります。   「ふるさと切手の郵政名称は当初、「地方切手」だった。しかし、世界各国の地方切手は使用を地方に限定したもの。全国で使える今回の切手にはふさわしくないと、収集家から「待った!」が掛かった。収集家を代表して、財団法人・日本郵趣協会(当時)から提案されたのが「ふるさと切手」というネーミング。翌1990年、郵政はこの名称を正式に採用することになる。」『ビジュアル日本切手カタログVol.2 ふるさと・公園・沖縄切手編』より     収集家が「待った!」を掛けたり、提案した名称が採用されたり、意外と収集家の声って届くものなんですね。 私は学生の頃、旅先で必ずふるさと切手を買い求め、その土地を描いた絵はがきで、親や友人に便りを送っていました。メールもSNSも無い時代に、何時間でも眺めていたい美しい風景や、こんな美味しいものがあるなんて!という土地の味覚との出会いの感動を伝えるための、良きツールであり、ひときわなじみ深い切手でもあります。   切手が発行された2004年は、秋田市の記念イヤーでした。初代秋田藩主の佐竹義宣(さたけよしのぶ)が関ケ原の合戦での動きを咎められ、常陸国水戸城からの国替えで入部したのが、1602(慶長7)年のこと。その2年後に現在の千秋公園にある久保田城に入城して、ちょうど400年目にあたる節目の年だったのです。「秋田市建都400年」のこの切手も、記念行事の一環として発行されました。 「なまはげ」ばかり取り上げていましたが、記念切手は2枚組でもう一枚は、秋田を代表する祭り「竿灯(※)」です。   2004(平成16年)発行 ふるさと切手「秋田市建都400年」 左:竿灯 右:なまはげ 秋田県出身のグラフィックデザイナー・田口隆廣氏のデザインによる切り絵調の絵柄で、「なまはげ」と「竿灯」の二枚を並べると背景の秋田蕗(※)がつながるデザインになっています。温かみのある民芸調の雰囲気が秋田のイメージとあっていて、ふるさと切手らしい良い切手だと思います。 印刷はオフセット5色で、発行数は800万枚でした。オフセット印刷という印刷技法も切手旅では初登場ですが、チラシやポスターなどを制作することがある方なら、聞きなれた言葉かもしれません。大量の枚数を印刷するのに適しており、平版に付いたインクをブランケットというゴム製の転写ローラーに移しとり(=オフ)、ブランケットから用紙に転写(=セット)するため、オフセットと名づけられました。文字や図、写真の再現性に優れ、細部まで鮮明に印刷できるので、現在では商業印刷や美術印刷の主流となっています。   実はこの「なまはげ」切手、途中でデザインが変更された曰く付きの切手でもあります。当時の地方紙にはそのいきさつが掲載されています。   なまはげの包丁 消えた 発売予定の建都400年記念切手 「イメージ悪さ」考慮 変案変更、御幣に (前略)大きな出刃包丁を手に家々を練り歩く怖い存在だが、切手のなまはげにシンボルの包丁は見あたらない。 デザイナーに依頼した原案のなまはげは包丁を握っていたが、包丁に対する悪いイメージを心配した日本郵政公社がなまはげのふるさと、男鹿市商工観光課に相談。同課では「児童殺傷事件などでイメージが悪いのか、首都圏のイベントでなまはげが包丁を持つと苦情が出るようになったので、おはらいに使う御幣をお薦めしました」と事情を説明している。 (読売新聞秋田版)   当初の図案のイメージが悪いということで、社会事情を鑑みて変更されるというのは仕方ないことかもしれませんが、なまはげにはナモミを剥ぐという使命があります。こうした流れが、来訪神行事や伝統芸能そのものを変容させていかないように、見守っていきたいですね。   男鹿駅にあったパネル(2009年当時)を見ると、確かに赤鬼は御幣、青鬼が包丁と桶を 持っているので、切手の赤鬼のデザインを変更しても問題はなさそうです ※ 東北三大祭りにも数えられる「竿灯」は、毎年8月3~6日に行われます。元々は七夕のねぶり流し行事の一つだったとされ、1789(寛政元)年の記録にはすでに秋田独自の風俗として書かれています。長い竹竿に横竹を結び、計46個の提灯をつるしたものを、曲芸風に操りながら練り歩きます。切手に描かれた腰に乗せる技は、かなりの修練が必要とされます。 ※ 秋田蕗は通常の蕗に比べて大きいのが特徴で、茎の長さは約1.5~2m、円形の葉は直径が約1.3~1.5mにもなります。秋田音頭には「秋田の国では 雨が降っても唐傘などいらぬ 手頃な蕗の葉 さらりとさしかけ サッサと出て行くかえ」と唄われています。傘代わりに蕗の葉、使ってみたいですね。   海も山も近い、男鹿の魅力   では、男鹿観光へと参りましょう。おすすめの見どころを写真と共にご紹介します。   まずは、なまはげゆかりのスポットを巡ってみましょう。 最初にご紹介した真山伝承館のすぐそばには、真山神社となまはげ館があります。 真山神社は第十二代景行天皇の御代に創建と伝わります。平安時代から行われてきた神事「柴灯祭(せどまつり)」では、正月3日に柴灯を焚き上げ、この火であぶった大餅を山の神に献ずる儀式が行われます。なまはげはこの餅を受けとる為に下山する神の使者「神鬼」の化身だと言われているのです。また、この「柴灯祭」となまはげを融合させた観光行事として、毎年2月第2金・土・日には「なまはげ柴灯祭」を開催。なまはげの総本山といえる場所です。   山からなまはげが降りてくる様子などが再現される 「なまはげ柴灯祭」(写真提供:男鹿なび) 真山神社から徒歩3分ほどのなまはげ館には、男鹿市内約60地区の150枚を超える面と衣装が展示されています。怖いものからちょっとユーモラスなものまで、その多種多様性が伺えます。なまはげに変身できるコーナーや映像コーナーなどがあり、男鹿全体のなまはげについて知ることができます。3ヵ所一緒にめぐれば、立派な「なまはげ通」になれます。   ずらりと並んだ各地区のなまはげは迫力満点。表情や素材に 個性があり、つい見入ってしまいます(写真提供:男鹿なび) さらになまはげを極めるなら、もうひとつ訪ねておきたいのが、なまはげの起源説として最も有力視されている「漢の武帝説」ゆかりの赤神神社五社堂です。   その昔、中国の漢の武帝が海を渡って連れてきた五匹の鬼たちが、作物や娘たちを略奪するなど村を荒らし回り、これに困った村人たちは「一晩で五社堂まで千段の石段を積み上げる事が出来れば娘を差し出す、出来なければ村を出ていく」という約束をさせました。鬼たちがあっという間に999段積み上げ、あと一段というときに村人が機転を利かせ一番鶏の鳴き真似で夜明けを告げると、それを聞いた鬼たちは驚いて逃げ去り、以後二度と姿を現さなくなったということです。   こうして鬼が来なくなり急に寂しく思った村人が、年に一度、鬼の真似をして練り歩くようになったのが、なまはげの始まりだと言われ、五社堂には逃げ去った鬼たちを祀っているそうです。 麓から延々と続く999段の石段は、一晩で積み上げたという謂れに相応しくかなりガタガタ。人気のない境内は本当に鬼に出くわしそうで、ちょっと不安になりました。なまはげの起源は他に、修験者説、山の神説、漂流異邦人説があります。   石段の途中には、姿が映らないと3年以内に死ぬとされる 「姿見の井戸」などもあり、不思議な雰囲気が漂います 平安時代の創建とされる赤神神社は修験道場として栄えました。現在の五社堂は 江戸時代中期の創建とされ、山中に五社が横に並ぶ形式は珍しいそうです なまはげとはいったんお別れして、海岸線へ。男鹿半島の先端部にある入道崎は夕日の名所として有名で、日本の夕日100選に選ばれています。珍しい白黒の縞々模様の灯台と北緯40度線を示すモニュメント、そして広々とした芝生とその下に切り立つ断崖絶壁が印象的です。男鹿温泉郷に宿泊すれば、日の入りのベストタイムに合わせて運航する「感動の夕陽号」に乗車することができます。   入道崎灯台と北緯40度線のモニュメント(写真提供:男鹿なび) まるで2時間ドラマに出てきそうな断崖絶壁です この日は見事な夕陽を見ることができました 秋田の冬の味覚といえばハタハタです。美しい夕景をみせる日本海は、冬になると様相が一変。寒風吹きすさび雷鳴とどろく冬の嵐のような日が多くなります。ハタハタは魚へんに雷とも書き、時化た日によく獲れるといいます。水深200~300mに生息する深海魚ですが、12月初旬になると、産卵のため岸辺にやってきます。これを接岸と呼び、男鹿の人はハタハタが接岸したと聞くとソワソワしだすのだそう。岸壁に押し寄せるハタハタと、産卵した卵(ブリコ)が波間に漂ってピンク色に染まる海、それを狙うおびただしい海鳥の群れ、そして漁港の賑わい…。これぞ男鹿の冬の光景です。   男鹿海鮮市場で見かけた獲れたてのハタハタ。 地元の人は毎食5匹食べても飽きないのだそう 海岸に打ち上げられたブリコ。納豆のように粘り気の ある食感が特徴です。(写真提供:男鹿なび) ハタハタを味わうなら男鹿温泉郷に泊まるのがおすすめです。男鹿温泉郷は坂上田村麻呂が東征の折に発見したとされ、江戸時代から湯治場として栄えてきました。ハタハタは田楽、焼き魚、唐揚げ、寿司などに調理され、食膳をにぎわせます。また、ハタハタを生のまま塩漬けにして発酵させ、自然にしみ出した上澄みを漉した魚醤「しょっつる」を使った、しょっつる鍋もぜひ味わってみましょう。   旅館で味わったハタハタの焼き魚。お腹からブリコがのぞいています 豪快にハタハタが盛られたしょっつる鍋。体があったまります 手軽な男鹿グルメをご希望の方には、「男鹿しょっつる焼きそば」が最適。市内の飲食店約20件で販売しており、特徴は①ソースは使わず、しょっつるベースの塩味か醤油味。②麺は粉末ワカメと昆布のだし入り。③具は海鮮中心で、肉類は禁止、と決められており、それ以外は各店舗それぞれに工夫してかまわないとのこと。試しに2件、食べ歩いてみましたが、麺はほんのり若草色で磯の香り、さっぱりとした味わいで上品な塩味でした。生臭みがあるのでは?と思ったのですが、まったく気になりませんでした。ぜひ観光の合間に楽しんでみてはいかがでしょうか。   「男鹿しょっつる焼きそば」。それほど魚醤が得意ではない私でも、 まったく臭みを感じることなく、美味しくいただけました 風景印にもなまはげ!    迫力あるなまはげが描かれた、男鹿郵便局の風景印 今回も風景印(※1)を郵頼(※2)でいただきました。なまはげが描かれた風景印は何か所かありましたが、人気スポットの「なまはげ立像」と潮瀬崎の「ゴジラ岩」が描かれている男鹿郵便局にしました。 海沿いの門前地区に建つ「なまはげ立像」は高さ9.99m。赤神神社五社堂の999の石段にちなんでいるそうです。空から怒声が聞こえてきそうな迫力で、なまはげの聖地に来たんだなぁと実感させてくれる像です。   迫力あるなまはげが描かれた、男鹿郵便局の風景印 一方の潮瀬崎は、男鹿半島・大潟ジオパーク(※3)のジオサイトに認定されており、約3000万年前の火山礫凝灰岩が風化して独特の形に削り出され、特異な形の岩が多数みられるエリアです。ゴジラ岩は、怪獣ゴジラにそっくりなことから1995(平成7)年にネーミングされました。口元に夕陽と夕焼け雲が重なる瞬間を捉えた「火を吹くゴジラ」の写真を撮るのが人気だそうです。ぜひシャッターチャンスを狙ってみては?   青空がバックでも映えますが、やはりゴジラには夕焼けの赤さが似合いますね。 あの鳴き声が聞こえてきそうです。(写真提供:男鹿なび) 歴史・民俗・人々の想いのつまったなまはげと、地球のダイナミックな活動を感じさせるゴジラ岩がコラボしていて、男鹿の魅力が詰まった素敵な風景印です。   ※1 風景印とは消印の一種で、風景入り通信日付印の略称。大きさは直径36ミリ。郵便局のある地域の名所旧跡や特産品、ランドマークなどが描かれています。手紙やはがきを出すときに、郵便局員さんに「風景印でお願いします」といえば、風景印を押して配達してくれます。また、はがき料金(2020年現在は63円)以上の切手を貼ったはがきや封書、台紙を用意して「風景印の記念押印」をお願いすれば、風景印を押して手元に返してもらえます。これを再び投函・郵送することはできませんが、記念品として手元に残すことができるので、風景印を集めることを趣味としている郵趣家もたくさんいます。 ※2 「郵頼」とは、文字通り郵便を使って風景印を頼む方法。どこに風景印を押印してほしいのかを記載した指示書とともに、63円以上の切手を貼った台紙(封筒でも官製はがきでもポストカードでも可)と返信用の封筒(宛先と84円切手を貼付)を添えて郵送します。指示書は端的に、明確な文章を心掛けましょう。「〇〇郵便局 風景印押印 ご担当者様」宛で、どこに、どう風景印を押印してほしいのかを図示し、日付の指定があれば明記します。どうして貴局の風景印が欲しいのか、などの細かな理由を長々と記載する必要はありません。「郵頼」の対応は、郵便局員さんが業務の合間に善意でやってくれることなので、わかりやすい指示書が好まれます。 ※3 ジオパークとは、「地球・大地(ジオ:Geo)」と「公園(パーク:Park)」とを組み合わせた言葉で、「大地の公園」を意味し、地球(ジオ)を学び、丸ごと楽しむことができる場所をいいます。2020年4月現在、日本ジオパーク43地域、その内9地域がユネスコ世界ジオパークに認定されています。   【参考文献】 ・『ビジュアル日本切手カタログ Vol.2 ふるさと・公園・沖縄切手編』 日本郵趣協会 2013年10月 ・『郵趣』2004年6月号 日本郵趣協会発行 ・「なまはげの包丁 消えた」『読売新聞秋田版』 2004年4月27日 ・「なまはげ 包丁持てぬ時代?」『産経新聞秋田版』 2004年4月19日 ・『もの知り切手用語集』改訂版第9刷 日本郵趣協会発行 2019年1月 ・『切手もの知りBook』田辺龍太 切手の博物館発行 2018年12月   【参考ホームページ】 男鹿市ホームページ http://www.city.oga.akita.jp/ 男鹿なび https://oganavi.com/ なまはげ館 https://namahage.co.jp/namahagekan/ 男鹿のナマハゲ https://www.namahage-oga.akita.jp/ 「来訪神の文化的意義を知る」(視点・論点) https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/314686.html 男鹿半島・大潟ジオパーク推進協議会 http://www.oga-ogata-geo.jp/ お札と切手の博物館 https://www.npb.go.jp/ja/museum/index.html 文化庁 無形文化遺産 https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/mukei_bunka_isan/ 日本郵便報道資料(ふるさと切手「秋田市建都400年記念」の発行) https://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/furusato/2004/h160601_f.html   【写真協力】 ・株式会社 男鹿なび「男鹿なびダウンロードセンター」 ・公益社団法人 鹿児島県観光連盟 ・クリスマス文化研究家 木村正裕氏 PAGETOP 切手の博物館 東京都豊島区目白1-4-23 Email:[email protected] Copyright © 切手の博物館 All Rights Reserved.Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.

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